スポーツを「楽しい、心地よい運動」に転換
昔の子どもたちは、鬼ごっこや木登り、空き地や広場でのボール蹴りや野球などの外遊びが大半でした。その周りには、年齢や性別の違った仲間が集い、自由に自主的な遊びの中で喜び、熱中、成功、失敗が原動力になって、身体、精神、創造性、判断力、社会性が育まれました。これこそが、自ら行う自主的な能動的「身体運動」なのです。
つまり、子どもたちは「やろうとする過程の創造」「挑戦する意欲」「伸びしろ値」「仲間意識」「コミュニケーション能力」などを養っていたのです。
現在の「スポーツ」や「体育」は、親や先生や大人が子どもの結果や成果、順位を判断するもので、子どもたちは、教えられるのが当たり前で、つまり、ものごとには、決まった手順やマニュアルがあり、そのとおりやっていれば、親からの指導者からの文句がなく過ごせてきたのです。そして、親から、先生から、指導者から「できたね」「あー、できたらよかったのに」と教えられる大人たちへの不安感や失敗したときの怖さに「自分の身体」さえ自主的に動かすことができない、またはしないのです。
そのようなことを言っても、もう今は「外遊びはできない」という声が聞こえてきそうです。今の環境では、そのとおりなのかもしれませんが、まだ子どもたちに救いの手を伸ばすことができるのです。その答えは、「スポーツ」や「体育」を「外遊び」に転換することなのです。「スポーツ」や「体育」を指導する皆様へ、皆様だったらどのように転換しますでしょうか。
「体育」や「スポーツ」は、教えられる記憶として、神経細胞(ニューロン)の受容体を増やし、情報伝達の効率や強さを長期増強させることで記憶するものでした。つまり、受動的に身体を動かす運動でした。
では、これを「運動」のように、自ら行う「身体運動」つまり、自主的つまり主体的な能動的身体運動にするためには、どうしたらいいのでしょうか。
その答えは、まず「教え込まない」「型が正しいのではない」ことを理解することです。学校の先生やスポーツの指導者が一番ダメだしするところですね。
現在の小中学校の子どもたちにおいては、発達障害やギフテッドなど多様性のある子どもたちが増えてきました。教育学やスポーツ知識だけでは子どもたちを理解することが難しくなってきました。児童福祉論や児童心理学など専門の知識を熟知しなければ、子どもたちに教えることはできない時代になりました。
当然ながら、「運動」も「体育」や「スポーツ」も身体運動ですので、身体を動かす「脳」についても熟知していなければなりません。
ここで、運動という意味や理解を訪問の皆さんと共有したいと思います。
運動というと「身体を動かすこと」と一般的には解されます。
なので、体育もスポーツも「身体を動かすこと」ですから、皆さんもそして学校の先生もスポーツ指導者も同じだと思っているのです。ここに大きな間違いや相違があります。
「運動」と「体育」と「スポーツ」について説明します。
まず、「運動」についてです。
1 物体が時間の経過と共に位置を変えること、つまり、「物体が自ら動くこと」を意味します。
2 健康を維持するために身体を鍛えて動かすこと、つまり、「スポーツと同じ」意味です。
3 目的があって活動すること、つまり、「目的のために自ら行動を起こすこと」を意味します。
4 物事の状態が時間と共に変化すること、つまり、「時間が流れて動くこと」を意味します。
5 生物の生理的な動きのこと、つまり、「生物が能動的に身体の部位を動かすこと」を意味します。
上記の「運動」に共通するのは、ある目的のために、「自ら身体を動かす」ということです。
次に、「体育」についてです。
1 「適切な運動を実践して、身体の健全な発達を促したり、健康促進を目的とした教育」という意味で、知育に対する言葉です。
2 「学校の教科の一つ」という意味で、教育機関により定められた課程の一つで、身体を使う学科のことです。
上記の「体育」に共通するのは、身体の健全な発達を促したり、健康促進を目的とした、身体を使う教育方法で、つまり、「身体を使って教育」ということです。
次に、「スポーツ」についてです。
1 「勝敗を競う目的で行われる身体運動の総称」という意味で、陸上競技、水上競技、球技などの分野があります。
2 「楽しむ目的で行われる身体運動の総称」という意味で、勝敗にこだわらずに、楽しんだり、コミュニケーションをとるために行うレクリエーションのことをいいます。
上記の「スポーツ」に共通するのは、それぞれのルールに従い、得点や勝敗を決める身体活動などで、「勝敗を決める身体活動」ということです。
それぞれの運動の意味について、もう一度確認しましょう。
「体育」は、学校の先生が「身体を使って教育」する運動です。つまり、第三者的受動的な運動です。
「スポーツ」は、部活の顧問やスポーツの指導者が「勝敗を決める」ために行う身体運動です。つまり、第三者的受動的な運動です。
「運動」は、自ら行う「身体運動」です。つまり、自主的な能動的運動です。
第三者からの運動のアプローチと自主的な運動からのアプローチでは、脳の記憶方法に大きな違いがあります。
第三者からの運動では、前コラム掲載「短期記憶の運動」のとおり、脳の短期記憶に一時保存された「運動」を表出するためには、「運動」を長期記憶に移す時間、つまり長期増強するために何日も何度もその運動を繰り返さなければなりません。
また、第三者からの運動では、脳の可塑性はほとんど望めません。
当法人が主催する「Jr-open」は、「スポーツ」を「外遊び」や「運動」に転換する活動なのです。